2020年2月28日 / 最終更新日 : 2020年3月16日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 但馬妙見の真実の歴史 妙見信仰の歴史は非常に古く、奈良時代には一般に広く信仰されていました。つまり、それ以前には伝来していたのです。日光院の初代、日光慶重は飛鳥時代の方であります。 その後、但馬妙見信仰は、天正年間まで(初代から第三十四世 […]
2020年2月28日 / 最終更新日 : 2022年9月22日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 「日光院の妙見杉」と「出雲大社の三重塔」 妙見の三重塔もそこが日光院であったが故に妙見に残っているのです。 日光院が隆盛をきわめていた江戸時代、出雲大社では両部時代から唯一神道に復帰する時期を 迎えました。いわゆる寛文の御造営です。神殿のご用材を全国各地に探 […]
2020年2月26日 / 最終更新日 : 2020年3月16日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 寛文御造営日記 三重塔由来の記録が「寛文御造営日記」として存在していることを証明してくださったのが、日光院第五十一世祐親大僧正に他なりません。昭和28年に出雲大社に書簡をおくり、その返答として出雲大社考証課長(出雲大社古文書等の研究の […]
2020年2月26日 / 最終更新日 : 2022年9月22日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 神仏習合と両部神道の意味 但馬妙見信仰の説明に上記の語句が用いられ、歴史が歪められ伝えられています。但馬妙見 信仰が近年どのように説明され、誤解されてきたのか、その一部を解説してみます。そして正確な 語句の説明をし、同時に正しい歴史を解説したい […]
2020年2月26日 / 最終更新日 : 2020年3月16日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 石原山縁記 「但馬国養父郡石原山縁記」 ただいま入力中です! 八鹿町発行の資料に石原山縁起が詳しく記載されています。 これは但馬妙見信仰の歴史の一端を物語っている貴重な資料です。石原山縁起とは、石原山帝 釈寺日光院の縁起です。石原 […]
2020年2月26日 / 最終更新日 : 2020年3月16日 peanuts 但馬妙見信仰の歴史 お助け地蔵由来記 子供の好きな日光院第五十三世光裕上人がお助け地蔵となり、 生まれ変わりました。いつも願い事をかなえてくれる頼もしいお地蔵さんです。 平成20年6月29日 光裕上人13回忌にあたり、大阪の藤次寺の桑原年弘僧正(一級建築士) […]