名草神社大改修完成式典について

令和4年10月21日

日光院 檀信徒の皆様へ

 秋の声が聞こえる美しい季節がやってきました。日光院の大銀杏もそろそろ色づき始めました。皆様におかれましてはますますご健勝のことと思います。
 来たる10月23日(日)妙見の名草神社本殿、拝殿(明治9年7月8日までの旧日光院)の大修理が完成し、完成記念式典が開催される運びとなりました。

 10年前の大雪被害により今回の大修理が始まるまでの経緯として、まず神社の負担金2500万円が必要でした。これが出せないと全ては始まりません。この問題を何とか地元で協力する為に奉賛会を結成しましたが募財は困難を極めました。そこで更に篤志寄付者を募るため特別奉賛会を作りました。会長の故濱壽雄さん、故西村明生さんより『日光院の協力なくしてこの事業は前に進みません、ぜひ協力を』との相談がありました。更に小佐地区の全区長さん連判の協力願いを受け、私も皆様の総意として受け止め、それならばと快く寄付しました。そして奉賛会会長の故三木次男さんに寄付金を委託した経緯があります。
 日光院としては、ご先祖様がお守りしてきた旧日光院の伽藍、境内、お堂の修理の為に、今まで護持して頂いた全ての檀信徒の皆様の代表として寄付をさせて頂きました。
 式典では、今回の歴史的な大事業に対し命がけで尽力された3名の方の顕彰と、一部ではありますが芳名披露が行われると聞き、ご恩に報い感謝を伝えるという、人間として一番大事なことが十分とは言えないまでも実施されることになり、まずは良かったと思っています。
 本来、この式典でとても大事な事である篤志寄付の条件であった寄付者芳名の石碑は作られていませんが、式典当日は芳名禄をパネルにして掲示、除幕式も挙行されると聞いております。来年には石碑を必ず作ると表明されたとの事。しっかりこの事実を見届けるためにも日光院の檀信徒の皆様は胸を張って名草神社にお参り頂き、往年の日光院の繁栄を偲び、是非ご参拝ください。

但馬妙見 日光院 第五十四世 龍親

【日光院歴史簡易年表】※別紙棟札の資料添付(養父市名草神社建物調査報告書より抜粋)

寛文5年(1665年)出雲大社より三重塔移築 (第三十六世 快遍上人)
※元禄2年(1689年)現在の拝殿(護摩堂)完成 (第三十八世 泰然上人)
※元禄8年(1695年)現在の社務所(庫裏)完成 ( 同上 )
※宝暦4年(1754年)現在の本殿(旧妙見宮)完成 (第四十世 寶潤上人)
※明和元年(1764年)本殿(旧妙見宮)屋根修理完成 (第四十二世 維珍上人)

明治の廃仏毀釈により明治9年7月8日をもって高野山真言宗の寺院である日光院は、国家神道の神社となり名草神社と名称を変え現在に至る。(この経緯は兵庫県史に詳細に記録)
寛永9年から明治9年までの245年間の妙見での歴史を経て、日光院が元あった石原字十坊の地に降りて、末寺の成就院を吸収合併し、日光院としての法灯を護る。第五十世として龍僊師を高野山から迎え、祐親師、光順師、光裕師、そして、現在第五十四世龍親に至る

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