すり替えの歴史について

このHPの大きな目的がここに示されています。

以下に、現在行なわれている情報操作がいかに許されざる行為であるか示します。 

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いったい、「何が」すり替えられ、ねつ造されているのかを説明します。

「何が」かと言うと
「主語が」すり替えられているのです。

三重塔を例にみて見ますと、まず
「だれ」から「だれ」に?という事ですが、

正解:出雲大社から日光院
不正解:出雲大社から妙見社へ

ただし、ここで用いられている「妙見社」は
名草神社を指す場合においてのみ不正解である。

なぜなら、歴史的に妙見社とは日光院のことであり
決して名草神社ではない事は、以前から証明している通りである。

つまり
一見分かりにくいよう

まずは
「妙見社=名草神社」とすり替えます。

次に
「出雲大社から日光院」を「出雲大社から妙見社」とすり替えます。

この巧みな二重のすり替えの結論として
「出雲大社から名草神社」としていることが
すり替え、ねつ造と言わず、何と言うのでしょうか?

そもそも、但馬妙見日光院の歴史そのものが
いつのまにか、名草神社の歴史にすり替えられているのです。
それこそが、すり替え、ねつ造の全ての根源なのです。

実際の寛文御造営日記には「妙見社」という文字はどこにも書いてありません。

つまり、このパンフレットと三重塔の本には、
故意に「妙見社」という言葉を後から付け加えているのです。

いったいどうすれば
「寛文御造営日記」には全く記録されていない
「妙見社」という言葉を書き加え、都合よく内容をすり替えて、
それをあたかも真実の歴史であるかのように伝える事ができるのでしょうか!

ある信者さんからのメールを公開します。
(掲載について、承諾してくださいました。)
日高町に在住の熱心な妙見さんの信者さんです。

HPの更新はかかさず拝見させていただいております。
ますます熱くなってきてますよ。home page でなく hot pege に・・・
なぜ、ここまでやってらっしゃるのに町の方は動こうとしないのか不思議です。
あきらかな事実なのに・・・ 。今は名草神社だけどもともとは日光院だったんだよって
公的な立場からPRしても本当のことだから何一つおかしくないと思うんですけどね。
結局は町の財源というか町にはこんな建造物があるといった形だけのPRでいいんでしょうね。
やはり信仰あっての建造物といったように本当の中身をPRしないといけませんよね。

「八鹿町には開運・厄除けの仏様である妙見さんをご本尊とする
日光院があります。この日光院は古くから妙見信仰の総本山で有名です。
しかし明治の神仏分離令、廃仏毀釈により大変大きなダメージを受け
ました。日光院の本殿は名草神社に変えられてしまうなど国の政策による
影響をうけてまいりましたが現在の地で今もなお妙見信仰は守られています。」

みたいなPRにしたほうが、いかに日本の宗教の自由が奪われた時代があったかなど
皆さんに知っていただけるのではないでしょうか。

このような悲しい事実を繰り返さないためにも皆さんに知っていただいて
皆で考えていかなければいけないと思います。

人にはそれぞれ自由がある。
宗教の自由は一番大切なことではないでしょうか?
仏様を大切にするということは人生を大切にすることだとおもいます。
妙見さんを偽ったままの解釈でPRすることは仏様をいかに大切にしていないかがわかります。
公的な機関が人々の人生を大切にしていないといってもよいのではないでしょうか。

真実の歴史を伝えることで我々は多くを学び、考え、
これを次世代にのこしていくべきですよね。

「マイナスをプラスにする」考えを大切にしたいものです。

大変心強いメールを頂きました。有難うございます。

でも、町の方の中にも真実の歴史を伝えるためにいろいろ、
考えて下さっている方が何人もおられ、今後の対策を真剣に
考えて下さっている事も、合わせてお知らせします。

他にも、沢山励ましのメールを頂いておりますが、
その、多くの皆さんの気持ちに応えられるように
生涯をかけて正しい歴史を伝えていこうと思っています。

日高町のK.Tさん、有難うございました。
そして、hot page を楽しみにしていてください。