妙見とは

 妙見とは、「妙見大菩薩」の事です。妙見大菩薩とは真言密教の仏様であり北斗七星を象徴とした天空の中心をつかさどる仏様の「妙見さん」として古くから信仰されてきました。そして、我が国においては「妙見大菩薩の信仰を妙見信仰」といいます。

そして、「妙見」という言葉は、大蔵経の中にあります「七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経」の中でその意味が説明されています。つまり「妙見」という言葉そのものが「仏典」を根拠とする「仏教用
語」なのです。

 各地に「妙見」という地名がありますが、これは妙見信仰が盛んであったことに由来しています。かつて「石原山」といわれていたこの地も、妙見大菩薩の信仰が盛んとなり「妙見山」といわれるようになりました。石原山とは全て日光院の旧境内地なのです。開運厄除けの仏様である妙見大菩薩は、江戸時代には、農業が盛んなこの地方においては主に五穀豊穣の「妙見さん」として多くの信仰を集めました。
 蛇足ながら、日本三妙見というのはもちろん妙見山という山を日本三妙見と言っているのではなく妙見信仰の三大霊場の一つである、ということなのです。近年、但馬妙見山に登山される方が多くなってきました。妙見山山頂(八鹿町側)をはじめ、殆んどが日光院の境内地であることはあまり知られていないと思います。明治の廃仏毀釈が行われるまでは、全て日光院の境内地だったのです。
 現在の登山道も、当院の境内地を八鹿町に一部開放して整備されました。妙見登山をされる方は、是非「但馬妙見日光院」に参拝ください。そして、但馬妙見登山の安全をご祈願ください。きっとご加護をいただけることでしょう。そして、但馬妙見の真実の歴史を発見される事と思います。
 また、八鹿町運営の妙見キャンプ場もございます。このキャンプ場も日光院の境内地なのです。八鹿町から相談をうけ、八鹿町の観光資源として境内地を一般に開放しているのです。妙見山の自然を思いっきり満喫して頂きたいと思います。

 

妙見信仰の歴史

妙見信仰(北斗七星の信仰)は中国においては、紀元前二千数百年前の堯舜時代に存在した「尚書」や「詩経」、「周易」などによって証明されますように非常に古い信仰なのです。我が国における妙見信仰の正確な伝来時期は不明ですが、あのキトラ古墳の「玄武」はまさに妙見さんを象徴しています。そして奈良時代には既に妙見信仰が広く行われていました。平安時代に書かれた「日本霊異記」に妙見菩薩の霊験が記されています。
 大蔵経の中、「七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経・第二」(西暦260~270年晋代譚)に妙見菩薩章があり、菩薩の功徳が説かれています。「諸法の実相を知見し、衆生界に向かって難思の妙用を垂るるが故に妙見という」と説いています。妙見信仰とはそれほど古い信仰なのです。但馬妙見日光院の妙見信仰の歴史も古いのですが、我が国においてその妙見信仰を理論的に説かれたのが真言宗の祖、弘法大師空海なのです。故に平安時代以降、当山は真言宗に属しているのです。
 但馬妙見とは但馬の国で妙見大菩薩を本尊としている日光院のことなのです。
つまり、但馬妙見とは日光院をおいて他にないのです。
 ところで、最近、妙見登山からの帰りに当院にお参りされる方から、『「名草神社」と「日光院」は、何か関係あるのですか?』『妙見信仰とこのお寺は関係がありますか?』またある時は、『上の神社に三重塔がありましたが、このお寺と何か関係ありますか?』など、いろいろ質問されます。おそらく信仰心の厚い方か、宗教的知識のある方か、或いは歴史に興味のある方などだろうと思いますが、結局、見識のある方は、名草神社をみてあることに気付くのでしょう。そして、最近は情報化社会ですから、祀られている神様の情報など調べてお参りされたりするのでしょう。とくに最近紹介されている情報に対して、疑問を感じている方がしばしばいらっしゃる様です。
(結局いろいろ調べてみますと、名草神社と但馬妙見日光院とが区別なく、むしろ、名草神社を但馬妙見などと誤った情報が昨今流布されているようです。但馬妙見日光院と名草神社との関係については、このホームページで詳しく解説しました。専門用語があり少々内容が難しいと思われるかもしれません。情報化社会となった現代、正しい情報と、誤った情報が交錯し区別(判断)が難しくなってきています。そこで、混乱を招いている「誤った情報」を、なぜ「誤った情報」なのかを理論的に解説してみました。是非ご覧頂き、ご意見やご感想をお聞かせ頂ければ幸いです。)

妙見大菩薩と七曜の紋

 妙見大菩薩は、北斗七星と同体でありますから、その象徴として当院は七曜の紋が用いられています。全国の妙見信仰の霊場の紋が同じく七曜であったり九曜であったりと、星紋が多く用いられてます。
七曜は、七個の星を配置した家紋で、北斗七星紋ともいいます。日月火水木金土の七曜ですが、これを密教では、貧狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍といい、この紋一つにも非常に深い意味
があるのです。妙見信仰の象徴的な紋として大切にされ、長寿延命・息災招福を祈願すると天変地変を未然に防ぐとして崇めてられていました。
霊符縁起には「但馬国石原山帝釈寺日光院妙見大菩薩北斗七星垂迹本地薬師瑠璃光如来」と伝えられています。つまり、妙見大菩薩=北斗七星=七曜紋それが但馬妙見日光院の七曜紋なの
です。

妙見大菩薩の本誓と霊験

 「諸の国土人民を救済せんと大誓願を発し種々方便の時七星と顕れ或いは親友と化して人々を善道に導き常に一千七百の大眷属を遣わし国土の災患を除き人民の諸願を満ぜしめ給う」とあります。日光院の妙見大菩薩の本地仏は薬師如来です。そして、お薬師さんの本誓と妙見大菩薩の本誓は同じとされています。戦国時代には山名宗全が戦勝祈願をし、また農業が盛んな時代には五穀豊穣を祈願し、いつの時代にも、人々の生活に密着した現世利益の開運厄除けを本誓とされた非常に霊験あらたかな仏様なのです。

 

御真言 おんまか しりえい じりべい そわか