天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)とは?

 全国の妙見信仰が明治の廃仏毀釈で大きなダメージをうけました。日本三妙見の一つ、八代妙見も誠に残念なことに、明治の廃仏毀釈によってに真言、天台のお寺が全て取り壊され、本尊も妙見大菩薩から天御中主神に変更されて妙見菩薩の信仰(妙見信仰)が無くなってしまいました。しかも「八代妙見宮」から「八代神社」と名称も変えられてしまいました。そこで天御中神とはどんな神様なのか歴史的、文献的に解説します。

  天御中主神とは、古事記、日本書紀にただの一度だけ記されている神です。明治以降、妙見大菩薩の代わりに祀られるようになりましたが、それは、幕末の平田篤胤という国学者によって、神としての性格が理由づけられ、そして後世に大きな影響を与えたのです。その天御中主神の性質は、天地創造の神と言うべく抽象性の高い神として説明されているようです。故に真言宗で説くところの大日如来に相当するのではないかと思いますが、既に天照大神が大日如来と同体であるという思想が平安時代から成立しておりました。従って江戸末期の国学者は天空の中心を司る妙見大菩薩と同体としたのではと考えられます。 

 ところで、天御中主神の主なご利益といえば、陸・海交通守護、特に航海安全、縁結び、縁談成立、子授け、安産だそうです。(日本の神様を知る辞典:国学院大学教授・阿部正路氏著書)いかに妙見大菩薩の霊験、ご利益とかけ離れているかお分かりいただけると思います。 

 司馬遼太郎氏も著書のなかで、『「明治以前には平田篤胤みたいな人がいましたが、彼はたしか「天御中主神」という不思議な、なるほど古事記、日本書紀に一度しか出てこない神を神々の世界を統治する最高神”ゴッド”の位置においてきました。・・しかし国家神道では「天御中主神」というあまり抽象性の高いものははずされて、具体的な「天照大神」になってしまう。・・」』と考察しています。
 つまり天御中主神とは江戸末期から明治にかけて認識されるようになり、神社で祭祀されるようになったのも、実際この頃からであり、信仰の対象としては非常に新しい神なのです。 

 さらに神社本庁の史料によりますと「実際に古くから神社の祭神として祀られていた形跡は延喜式神名帳等の神社史研究において存在しない」つまり、天御中主神を祭る神社に式内社は無いと断定しているのです。全国で「天御中主神」を主祭神としてお祀りしている神社を挙げてみますと、東京大神宮(東京)、四柱神社(長野)など国家神道によって明治にできた新しい神社と、妙見信仰の本尊、妙見大菩薩に置き換えられた神社の大きく二つに分類されるのです。つまり、妙見信仰とは明治の神道国教化政策(国家神道)によって無理やり結びつけられた神なのです。 

 神社史研究によって、但馬妙見信仰の真の歴史を証明する上で重要な研究の成果がここに示されたのです。社歴として「・・・式内社である名草神社が、天御中主神を祀るが故に、両部神道により名草神社が妙見宮となった・・・」と今まで説明されていましたが、「天御中主神」を祀っておられる神社に「式内社」は存在しません。仮に延喜式神名帳に記載されていた「式内社」であったとするならば「天御中主神」がお祀りされているはずがありません。もう、お分かり頂けたと思います。非常に単純な事ですね。