廃仏毀釈について
明治初年から全国に吹き荒れた廃仏毀釈の惨状を
少しずつ文献的に解説してみたいと思います。
僅か130年前に行われた信じられない歴史を
知った時、私の心は激しく震えました。
この歴史を知ると、今まで当たり前の様に思っていた
故郷の風景が、全く違って見えてきます。
私たちの常識は明治という時代に大きく変わっているのです。
日本古来の文化、常識がどれほど失われたのかを思うと胸が痛みます。
我々日本人より、外国人の方が、その歴史を正しく認識していたり、
地元の人より、遠方の人の方が正しい歴史を知っている事などは、
誠に皮肉なことといえるでしょう。
誰かの様に「負の歴史として仕方なかった」と
一言で言ってしまうのは簡単ですが、大切なのは
それを正しく知り、同じ過ちを二度と繰り返さない事だと思います。
☆ 但馬妙見信仰について ☆
但馬妙見信仰について信じられない事に偽りの歴史が、
当たり前のように某パンフレットなどで流布されています。
それらは例えて言うならば、「但馬故事記」と
同じ意味しか持たない事は言うまでもありません。
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妙見さんのお膝元で、我々は先祖代々
命をかけてその信仰を護ってきました。
その先祖の営んできた「信仰」という生きざまを
その信仰すら最近まで全く知らなかった一部の人によって
いとも簡単に否定されているのです。
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驚くべきことに、それらが否定されたのは
実は全くはごく最近の出来事であり、
(あまり知られていませんが、それは昭和60年代頃
から次第にエスカレートしてきました。)
それは、今まで先人達が築き上げてきた歴史など
全く無視してしまうという信じがたい行いなのです。
まして、「信仰」という神聖な領域において
それらを傷つける事など、全く許されざる行為なのです。
まさに、現代に繰り返されている廃仏毀釈なのです。
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しかしこの情報化社会において彼らの主張するような
裏付けのない非学問的で、あまりに薄っぺらな解釈や
「信仰」という神聖な領域とかけ離れた立場からの
偽り歴史など、直ちに明らかにされてしまうのです。
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これら偽りの情報を発信している事が、もしも
故意でないとするならば、謙虚に、素直に真実を知る人の
意見に耳を傾ける事が必要なのではないでしょうか。
偽りの歴史をもって人々の注目を集める事に努力するのではなく、
歴史を正しく伝えて、本当の魅力を最大限伝えることが求められているのです。
歴史とは、そういうものだと思います。
真実の歴史こそ人々の心に響き、またそれが本物の文化であると感じられた時に
はじめて、これらを守り子孫に伝えたいという意識が生まれるのですから。