島根県立古代出雲歴史博物館

先日、日光院主催の出雲大社特別正式参拝を行いました。
60年に一度の貴重な機会でした。お蔭様で、無事、国宝の本殿にお参りさせていただきました。 

出雲大社さまにすぐ隣接し、古代出雲歴史博物館が2007年3月にオープンしました。
古代から現代に至るまでの出雲の歴史が極めて詳細に、そして魅力的に展示された素晴らしい博物館です。 

さて、出雲大社と日光院の関係ですが、ご存知の通り、杉をお譲りしたご縁で三重塔を頂きました。
その事に関する展示があったのですが、まことに残念なことに、旧八鹿町時代からの歴史捏造の悪影響が、遠く離れた出雲の歴史博物館にまで影響を与えておりました。
今回の参拝に参加された方から、「誤った展示があった」との報告をうけ、私個人に大社さまに参拝させていただき、その足で歴史博物館をたずね、指摘された説明を確認しました。

妙見三重塔の一部部材が展示されており
そこに書かれていた説明文は・・・  

「但馬国(兵庫県)妙見山より杉を譲り受け・・・云々」

 とかかれ、 

「但馬妙見 名草神社より部材の一部を・・」 

となっておりました。旧八鹿町の歴史すり替え理論がここでも強く反映されていました。
くどいようですが、妙見山という表現では、あたかも山を示しているように誤解され、だれも日光院とは気づかないと思われます。 
そして、但馬妙見とは日光院の事であり、名草神社ではない事はいうまでもありません。

つまり、正確には、 

「但馬国(兵庫県)妙見山日光院より杉を譲り受け・・・云々」 

となり、 

但馬妙見=日光院のことであるため、削除していただき、
「現所有者 名草神社より部材の一部を・・」 
ということになります。   

直ちに、学芸員の方に連絡をとって頂き、誤解のないよう訂正して頂きたく上記内容につき申し入れをさせていただきました。 

担当の学芸員の方は、きわめて冷静に私の意見に耳を傾けて下さり、旧八鹿町の情報は無視していただき、寛文御造営日記の再検討を依頼、そこに書かれていることを、何も加えず、何も削除せず、正しい表現をして頂きたいということをお願いして帰りました。  
あれから2週間、本日歴史博物館からご連絡いただきました。 

さすがです。 

正しい歴史を正しく伝えるためには、これほど大きな組織であり、展示内容に関してはごく僅かなことでありながら、迅速に対応してくださり、上記の正しい表現にされるとの事でした。   

古代出雲歴史博物館に感謝! 

お導き頂いた出雲大社様に感謝! 

そしてお力を下さった妙見大菩薩様に感謝!