鐘楼堂
修繕前の鐘楼堂です。大きく傾いていました。
修繕後の鐘楼堂です。殆どの部材をそのまま活かしました。
お陰さまで、たくさんのご寄付を賜り無事完成いたしました。
心より御礼申し上げます。
是非、日光院の鐘を撞きに来て頂きたいと思います。
☆
以下、募財に際しまして檀信徒の皆様にお配りいたしました文章です。
鐘楼堂修繕並びに休憩所再建の募財のお願い
新緑の美しい季節となりました。皆様におかれましては、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。鐘楼堂の修繕並びにその隣にありました休憩所再建の件につきまして募財の御協力のお願いです。
当院の鐘楼堂は約三百年前に建立されたと伝えられています。日光院はご存知の通り、元は妙見にありましたが明治の廃仏毀釈の際、強制的にお寺の建物を神社にせよとの布達にて新たに名草神社とされました。 そして日光院は明治九年七月八日、石原にありました末寺の成就院と合流し現在に至ります。当時の状況では、三重塔を今の日光院の境内に移築する事が出来ず、極めて残念な事でしたが、そういった中で鐘楼堂だけは、なんとか移築する事が出来た唯一の建物なのです。古い建築物あるだけでなく日光院の歴史を今に伝える貴重なお堂なのです。
しかしながら長年風雨にさらされ傷みも激しく、以前より修復が望まれていましたが、ここ数年の間に傾きもひどくなり、参拝者からは「この鐘楼堂は倒れそうだ」と不安の声が聞かれるほどになっていました。
実際に測量しますと、屋根が東側に約十五センチ、南側に約九センチも傾いており、撞木は鐘の中心からはずれた位置に当たる程傾いていました。また、四方の柱を支える基礎のうち、北西の礎石が二つに割れ、応急処置として鉄の輪を造り割れた礎石を締め付け、それ以上開かない様にしていました。
また休憩所については、先代の祐親大僧正が参拝者に気持ちよく休憩してもらえるようにと建立されましたが、こちらも約五十年の時を経て老朽化し、最近では柱に触れるだけで全体が揺れ、屋根のトタンも剥がれ、雨漏りもする大変惨めな、そして危険な状態になっておりました。
そこで、まず建築士に現在の鐘楼堂をそのまま用いて修繕することが可能かどうかを調査して頂きましたところ、柱には立派なケヤキ材が使用されている事、腐食や虫食いにより強度不足を来たしている部材の交換、足りない部材の追加、そして腐食で短くなっている北西の柱については、文化財補修の手法を用いて柱を途中から継ぐ事が可能である事等々、現在のお堂を補修することにより、さらに数百年の命を吹き込むことが出来るという結果を頂きました。
日光院の鐘楼堂は但馬はもとより、他の地域でもなかなか見る事がない程大きく立派な鐘楼堂です。新築となりますと大変な金額がかかりますが、今回の方法でしたら新築の約三分の一の費用で修繕することが可能である事が分かり、総代会を経て修繕工事を発注致しました。現在順調に修繕がすすんでおります。
そもそも、鐘楼堂とは梵鐘を吊り下げるお堂の事です。梵鐘の「梵」には「聖なる、清らかな」という意味があります。「聖なる清らか」な「鐘」の響きをもって、仏教にご縁のない人に仏縁を、仏縁のある人は更に悟りへの心(菩提心)がおこりますよう願う為のものであり、仏教寺院にとって欠かすことの出来ない大切なお堂なのです。
今回の募財につきましては、日光院が財を貪るにあらず、お寺にとって欠かすことの出来ない鐘楼堂に新しい命を吹き込むという功徳と、今日まで日光院を守り続けて下さいました御先祖様に対して供養するという二つの功徳を皆様と共に積む事こそが本意なのです。従いまして、浄財につきましては、皆様のお心にお任せ致したいと思いますので、何卒御理解頂きまして、浄財の御協力を宜しくお願い申し上げます。
この大事業が無魔成満します様、御本尊様、御先祖様に祈願すると同時に、未来の子孫の為にも、今の私達に出来ることを精一杯させていだき、しっかりと法灯を守っていきたいと思っています。六月中に完成する予定で、秋には落慶法要を執り行ないたいと考えています。ご参拝の際には、休憩所でゆっくりくつろいでいただき、そして気持ち良く鐘を撞いて頂きたいと思います。
合掌
平成十七年五月吉日
日光院 住職 森田光順
副住職 森田龍親
檀信徒各位