石原山縁記

八鹿町発行の資料に石原山縁起が詳しく記載されています。 
これは但馬妙見信仰の歴史の一端を物語っている貴重な資料です。石原山縁起とは、石原山帝釈寺日光院の縁起です。石原山帝釈寺日光院とは但馬妙見信仰の総本山にして、江戸時代は妙見宮と言われていました。本文中に何故帝釈寺と言われるようになったのかなど、江戸初期の妙見信仰の実態が明らかされています。何故、帝釈寺と言わなくなったかと言うと、明治の廃仏毀釈の際、「寺号を廃せよ」と信じられない命令によって、「帝釈寺」という名前が使われなくなったのです。そして、同時に石原山を妙見山と改められたのです。この中で、「石原山とは妙見大菩薩の鎮座する霊場なり」と書かれています。       

但馬妙見信仰の総本山が、帝釈寺日光院であることが明らかにされている本当に貴重な資料です。一般に世の中に公開されなかった理由として、おそらく明治の廃仏毀釈でこの資料も抹殺されかけたのでしょう。幸いにも八鹿町の資料に残っていたとの事で、妙見大菩薩のご威光を改めて感じた次第です。