ようこそ但馬妙見へご参拝くださいました。

「妙見山」は但馬の八鹿町にある1139mの霊山です。 古くは「石原山」といわれていました。

石原山縁起 には「石原山とは妙見大菩薩の鎮座する霊場なり」と書かれています。 「妙見さん」の霊場として、多くの人々の信仰を集めてきました。 そして、妙見信仰の盛隆によりいつしか「妙見山」といわれるようになりました。

「妙見さん」とは妙見大菩薩のことです。そして、 「但馬妙見」とは但馬の国で妙見大菩薩をお祀りしている日光院のことなのです。
日本三妙見の随一、但馬妙見とは日光院をおいて他には存在しません。

 
山名宗全公もここ石原の但馬妙見日光院で妙見大菩薩に戦勝祈願をしました。
その古文書は「日光院文書」として、但馬妙見信仰の歴史を正しくつたえる資料のみならず、中世の貴重な資料として県指定文化財となっています。
 
霊験あらたかな開運厄除けの妙見さまとして
1400有余年もの間大切にお祀りされてきました。
現在も「妙見さまにおかげをもらいました」と
ご利益をいただいた方のお礼参りが後を絶ちません。
 
皆様も、妙見さまに心をこめてお祈りください。
きっとご利益をいただけることでしょう。
 
御真言 おん まか しりえい じりべい そわか

但馬妙見 日光院 第五十四世 龍親 合掌

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「温故知新」

「うだつ」の町並は、八鹿町の昔の繁栄の面影を今に伝えています。 なぜ、それほどまでこの八鹿町が栄えたのか考えてみますと やはり、「文化」を大切にしていたのだと思います。 「文化」とは、「根っこ」だと思います。「根っこ」を大切にする事が 即ち葉を茂らせ、多くの収穫を得る事につながったのだと思うのです。 目先の発展や利益などは「葉っぱ」に過ぎません。 「葉っぱ」に囚われていては、本当の意味での発展はないと思います。 八鹿町、ひいては但馬の発展を願うと同時に、その「文化」という 「根っこ」をもう一度見直して、温めなおして、本当の歴史や伝統を 正しく伝え、さらには皆の心の故郷となることが出来れば、 そこから新たな但馬、八鹿の発展につながる様に思います。 以下に「八鹿町の昭和30年代の記憶」として懐かしい史料を掲載しました。 昭和33年八鹿町発行の地図に説明されていた「但馬妙見日光院」 の紹介です。当時の八鹿町の観光地の様子が分かる資料です。 そして、八鹿町の著名商工業者案内図も一緒に印刷されています。 当時の商店街の様子が分かる懐かしい地図です。